ブーティの裏 -2ページ目

ブーティの裏

フォトグラファーをする傍ら、Funnyな神さまの導きにより2014年から「狛江で1番入りづらいバー、ゴータバー」という飲食店を経営させて頂いております。2023年法人化し㈱ゴータバー設立。学歴が小学生程度しか無いため誤字脱字多めのニンゲンのエッセイ。

清々しい新緑の風を肌で感じながら、このままそれが続けばいいなと。

しかし、気温は少しづつあがると共にうっすら、肌とシャツの間にこもる

湿気に嫌気をさす。

 

清々しいとは裏腹に、休みの日なんか家から出たくない。

そんな時に限って、旧友の祝があって駆け付けようかどうしようか悩む。

 

しかし、齢も40を超えてくると、あの頃の旧友は何をしているだろうか。

あの人は何をしているんだろうか。

1時間でいいからお茶を濁してみたい気が起きてくる。

 

少し遠いけど、会いに行ってみよう

でも、自分なんかが行っては邪魔じゃなかろうか。

そんな思考が頭をよぎる

 

実際、会いに行ってみると楽しいものだ。

会ってよかった。そう思える。

 

 

 

私がお店を始めてから数人の高校の同級生がわざわざ北海道から会いに来てくれた。

その思い出は一生忘れない。

千歳市に住む同級生のASは、東京出張のついでにお店に遊びに来てくれた。いろいろな話を交わして最後に一緒に写真を撮った。その写真は店のホームページに載せた。

ハードディスクにしまい込んでしまうと、見つけらんなくなっちまうしね。

ちょいちょいHPを更新している時に目に入るのが嬉しい。

それから7年経って、最近北海道の母の家に帰るとASの父が遊びに来るようになった。私の母の旦那さんの趣味仲間らしい。

 

同級生のMKは札幌に住んでいるのだが、旦那さんのお母さまが狛江に住んでいるという事で、ついでに遊びに来てくれた。女子でお店に遊びに来てくれたのは初めてだ。

こうして、誰かに会いに行くって、会える事って嬉しい事だし面白い。

 

私たちは、天国(そういわれる次元)に住んでいる時、「そうだ、時空旅行しようぜ!」って話しになって、時空ツアーに参加した。

乗り物であるこの「身体」を生成させて意識をそれに上手いことリンクした。

ただ、条件があって、身体と意識をリンクしてゆく上で、天国という時空にいた時の記憶は消される。

たまーに処理間違いで記憶も残ることが有ったり無かったり。完全に消すことは不可能らしい。

現世(という時空)で身体が完全体になり熟し始めるころ、天国で一緒だった仲間に現世出逢うと、なにか懐かしい感じがしたり、無性に会いたくなったりする。それが消しきれなかった記憶だ。

 

現世にツアーで来ているのだから、この地球を丸ごと味わっていかなきゃ勿体ない。

この身体という乗り物は、痛み辛みを感じられる特殊な機能が備わっている(天国にいるときは痛み辛みは無い)

だから、誰かと会って、うれしかったり、泣いたり、別れたり、抱きしめ合ったり、

 

時には、乗りもしない大型バスの免許取ったり、絶対キャンプしないのにキャンピングが―作ってみたり、アホな事せなあかん。

 

天国(という時空)に帰った時に、その記憶を目の前に並べて、あれは面白かっただの、辛かっただの仲間とお話しするのがこれまた楽しいんだ。

 

ちょっと難しい話をすると、仲間というか自分なんだけどね、これは理解できないようにプログラムされているから、帰ってからのお楽しみ。

 

故に、この世は辛い方が面白い。

例えると、雨って靴が濡れるし髪の毛もクルクルするし、絶対嫌じゃん。

でもね、人に見られないところで頭がおかしくなったように、雨の中に裸足で飛び出して思いきりずぶ濡れになってみて。雨降る空に向かって思いきり口をあけて叫んでみて。シャンプー持ってたらそのまま頭洗って。

 

清々しいから。

 

実は「辛い」と感じているのは自分で、「幸せ」と感じればそれは幸せになる。

 

話しは脱線したが、今週末、電車に乗って誰かに会いに行ってみよう。

飛行機に乗って、誰かに会いに行ってみよう。

 

 

ここまで読んでくれてありがとう!

 

GOTA

 

2023年、6月3日の夕刻

地下にある12坪のBAR。

少し高い所にある小さな神棚に祀られた天照大御神に見守られ、私は、私たちは御祭りを開催することが出来た。

 

祭典の催しの1つ、音楽ライブも無事に済み、今回試験的にMOGURAのアコースティックデュオにプラスして、わたしのパーカッションと、お手伝いでベーシストを混ぜてバンド形式で行った。様子は私のInstagramにて割愛させて頂く。

 

13席あるカウンター席も、補助席を出すほど、テーブル席もまんべんなく埋まっている状態。そして私がいつも気にしている、全てのお客様が誰かと会話をしている状態も保たれ、店の真ん中にトイレまで続く導線の延長線上、壁際に置かれた小さな木製の補助椅子に私は独りで座り、トールグラスに注がれた一刻者の炭酸割りを少し口に含み、余計な空気を抜いてから喉に流し込んだ。

 

時間がゆっくりと流れて行くのが身体で感じ取れる。

歳をとったのか、境地や窮地に立たされる場面で、実はふぅっと一息つく癖が出てきた。その緊張感がやけに心地よいのだ。

9年前は違った。

地に足がついている感覚もなく、目は回り、脳は限界値を超えて死んだ。そして時間が特急列車の窓の景色の様に流れていった。

 

未だにわからないのが、なぜ私はこの地で、この場所でBARをやっているのか。

その事については、この9年間ずうっと研究した結果、多分なんらかの大いなる存在が自分を通して何かをしようとしているのがわかった。もっと簡単に言えば、大いなる存在から仕事を与えられた。だから私はその事にに仕えてるだけ。

 

とは言っても、順風満帆にはいかない事の方が多い。

次から次へとやらなくてはいけない仕事が永遠に続く。

そんな忙しい時に限って、妻より鍼灸院への送り迎えを頼まれたりする

 

つい先日まで、忙しい私に、さらに仕事を持ってくる妻に対して怒りを覚えていた。妻の野暮用に付き合わされて、本業の仕事が出来ないとなると、それはそれで売り上げが下がるかもしれないが、その責任は妻に有ると考えていたのだ。

それが3年を超すあたりで、気が付いたことがある。

 

私は大いなる存在にも仕えているが、妻にも仕えている事が理解できた。

妻に仕え、天に仕え、妻のご両親兄弟にも仕えて、それをひっくるめて仕事なんだ。

天や妻、家族に仕え、その仕事をまっとうすれば、食えなくなることは無いのだ。

そして、それらの仕事ひとつひとつに向き合うようになって、好転しだした。

 

買ってからしばらく放置されていた本、「なんのために働くのか」北尾吉考を最近手に取りこの考え方が間違いないものだと確認した。

 

満席御礼の店内を小さな補助椅子から眺め、そんなことを考えていた。

先にも書いたが、法人化したことであらゆる経費が増え、覚悟しなければいけないことがだいぶ増えた。しかしそれらの大半は仲間やスタッフを守るための手続きが多い。

普段の経営者ならば、出費は押さえたいものだが、そこで易経から得た山沢損

 

損は先に払っておくべし。

ここまで読んでくれてありがとう

 

GOTA

 

 

会社設立と共に経営難に陥った。というお話をした。

結果、4月は宴会が多く売上げ好調。

経理を担当する妻より、これくらい毎月売りあがると、

貯金が出来る」その言葉に癒されながらも

また売上げを上げなければいけない5月に、自然に突入する。

 

撒いて撒いて撒きまくったチラシも好調で、ご新規のお客さまも

次第に増えて、結果的にグッド。

 

毎日不安にさらされると、なにか違う趣味に、どっぷりと浸かりたくなる

傾向に有ることが44年目にして分かった。

同時に、ティックトックやYouTubeのショート動画がメインのSNSを

見る事で、脳が別の世界に行き、気持ちが楽になることも分かった。

 

しかし困ったことが、ショート動画のジャンキーになることで

逃げ場を見つけたワタシは、時々読書の世界に戻るとあら不思議…

集中して読書をすることが困難な脳に変わっていた。

 

具体的に説明すると、読んでいる文章を目では追っているのだけど

脳の中では、違う事を考えだしてしまって、気が付いたら読んでいるはず

の本のページをめくって次のページに進むころに、ハッと気が付き、

本の内容は一切頭に入って無いことがわかった。

 

何度もなんども、読んでいる最中にその本に書かれている一つのキーワード

から想像が派生して、「目では文字を追っているのに、内容は入ってこなく

頭では、別のストーリーが展開されている」

 

この症状は、ショートSNS動画を見まくった頃から発症しだしたことから

その様な動画を見る事をしばらく控えた。

 

政治的な事件が乱立するTwitterもなるべく見るのを控えた。

あの…、重要な事も書かれていると思うんだけど、根拠が薄いのと

あと、見ていて凄く疲れる。

 

やがて読書を8割にすることで、集中も途切れることなく、同時に始めたのが

昨年開局しておいたアマチュア無線だ。

相手局のコールサインを瞬時に書き取る、そしてお話しながら、相手局の

環境を空想し、頭の中のイメージをどんどん膨らませる。

これ、脳にとってすごく良い運動だと思うんです。

 

更には、先月、大型バイクの免許を取った。

たまーに、レンタルバイクして富士山まで走って、身体と脳のリンクを

愉しむ運動にも勤しもうと思う。

 

なんかあれだね、この歳になると、向こう三週間の天気と健康に気が向く。

原材料だとか、ケミカルだとか、フライパンのコーティングだとか、

なるべく電子レンジを使わない方法とかw

 

ここまで読んでくれて、ありがとうございます

GOTA

タイトル長っ。これで釣れるのか。

まぁ釣るためにブログやってるわけじゃ

無いんだけどね。

婚礼の撮影なんて、何年ぶりだろう。

仕事じゃなくて、お祝いとして昨晩、撮影させて頂いた。

ゴータバーで出逢ったカップル、本当におめでとう。

ここに写真を1枚載せようと思ったんだけど

サイズオーバーでアップロード出来なかった。

なのでTwitterか、インスタに数枚挙げておこうと思う。

 

婚礼スナップに使うカメラ、Cannonの方が操作性が良い。

Nikonは光源があまり変わらない現場向きだな。

Sonyは使ったことない。

 

人が伴侶を得て、さらにその間にまた一人の魂が宿る

これって奇跡的。嬉しい事だよね。

 

昨晩の披露パーティも素晴らしかった。

そして今日、ゴータバーのお客様が京都で結婚式を

挙げていらっしゃる。

素敵な伴侶が見つかってよかった。

 

あー、今朝もなんだか気分がイイ

 

GOTA

 

 

マイナス40万だよ今月は。そう言った妻の声を聞いたのが朝の9時だった。

経費と利益のバランスが極端に崩れ始め、同時に心も折れそうになるか…とおもいきや、そうでもない。

意外とこういうのに慣れてきていて、やることさえきっちりやっていれば、必ず盛り返せるだろう。もしダメだったときは、それはそれで運命だろう。こう考えるようになってきた。

 

むかし、店を始める前に苦しい経営者の声を聞いたことがあって、月末に給料を払わなければならないのに、現金が無い。というもので、その時は恐ろしいと思ったが、いざ自分にふりかかると、まあこんなもんか。と冷静でいられる。たぶん心のどこかで自信があるんだろう。

 

今月のマイナス40万よりも、妻と話し合って、無駄使いは無いか、全てにチェックを入れだし、エクセルでさらなるこまかい収支の可視化を図った。かなり細かく。

定期預金を崩し、私のポケットマネーから少し出して今月を乗り切った。

しかし、妻と色々話しながらお金のやりくりをしたり、お客さんがどうやったら来てくれるかをスタッフと話したり、儲かっていた時よりも今の方が楽しいような気がする。

 

けして生活は楽じゃないけど、活きてる実感がビリビリくる。下手すりゃ快感。

 

僕たちが以前に居たあの世ってところは、痛みもなきゃ、苦しみもない、欲しいものは全部ある。全て完璧なあの世に居たらしいんだ。

その生活からみると、痛みとか苦しみが有ることがうらやましいだそうな。

 

だから、あの世でどんな痛みや苦しみを味わうか台本を書いて、この現世に降りてくるらしい。ちなみにあの世に居た頃の記憶と、台本を書いた記憶は全部消される。

 

で、私はこの世でお金に苦しむっていう快感を味わう台本を書いてきたらしく、だからお金に困りだすと、心のどこか奥でワクワクする自分がいるのか…と納得する。

 

台本は、けして自分を殺すような内容は書かないみたいなので、ある程度味わったら今度はその逆にいくようになっているらしい。それをこの世ではバイオリズムとか名前つけちゃってね。

 

今、妻と子供がいて、ぎりっぎりだけど生活が出来て、雨風しのげて御父さんから車のおさがりがもらえて、酒も自由に飲めて(自分のみせなので…)

これ以上の幸せがどこにあるってんだ?w。しかも超健康というオマケつき。

 

有難すぎるこの世界。あの世に帰るまで存分に「感じて」から帰りたいと思う。

苦しみも裕福のうちの1つだってね。

 

 

GOTA

君は今日、東京の幼稚園に入園することになった。本当におめでとう。

都会の入園式というものをパパは初めて体験する事になった。記念に、覚えている限りのパパの幼少期の記憶をここの残そう。君も今日の事をパパの齢になったらコメントに残すといい。42年後の事になるが。

 

パパは北海道の田舎の幼稚園ではなく、「保育所」に入所したのが今から多分42年前の事だ。

所の名前は「和泉保育所」だ。色は塗り替えられているが、Googleマップに当時のまま建物が残っていたから、載せておくよ。

場所は 緯度424235.91 経度1420740.57 だ。

 

和泉保育所とあるが、別名「和泉生活館」通称「セイカツカン」と集落では呼んでいたんだよ。

40世帯ほどからなるこの集落で、お葬式や子供会、自治会の会合もここで行われた。

周りは林業と農業の兼業か専業が多く、農業が終わるころに母や祖母が自転車で迎えに来た。

 

今日君が体験した煌びやかな入園式など有ったのだろうか?卒園式みたいなものは写真に残っているので、確認できるがね。

これが悪いとか良いとかではなくてね、パパも毎日キミとお同じく走り回るのが大好きで、出会い頭に他の園児とぶつかって、はじめて鼻がツーンとする体験をしたよ。

 

都会の幼稚園で、何をするのかはパパは知らない。

大好きだった田舎の保育所ではね、毎日が遠足だったんだ。近所に「動物園」って呼んでいる国立公園みたいなのがあってね、そこには子汚い犬やキジやアヒルまでもがいてね、悠々と池を泳いでいるのを見てパパは感動したんだけど、ゆくゆく大人になって、そこが後輩の家の庭だったことがわかった時、パパはこの世界の狭さを体で感じることが出来たよ。

 

ハチヤ先生って美人の女性の先生が大好きでね、ずっと先生の足にしがみつき、心を癒していた記憶があるよ。お陰様でパパは女性の足にしがみつくと、ナゼか心がホッとする大人になったよ。(注:やらないけどね)

パパが18歳になった時に、家からバスに乗って1時間のところに有る富川自動車学校に入校した時に、自動車学校の事務のオジサンがパパに話しかけて来てね、「君がGOTA君か!まってたよ!」って言われて、なにかパパは特別な存在なのかと思ったら、そのオジサンはハチヤ先生の旦那さんだったんだよ。お陰様で縁あってハチヤ先生当本人に会うことが出来たんだけど、美人だった筈のハチヤ先生を見て、正直だれだかわからなかったよ。

(先生、もし見てたらごめんなさい、変わらずお奇麗でした♡)

 

毎日が遠足って言ってたけど、けっこう山奥にある牛のための牧草地帯まで遠足してね。

今考えればスイスの高原みたいな所でお弁当を食べたり写真を撮ったりしたんだよ。草が青々していてね、その匂いが好きだったなぁ。

ちなみにその牧草地帯は今、クマ出没注意で牛も立ち寄らないよ。

 

でも、都会から見たら何もないけど、パパたち子どもにとったら、必要なものは全部あったんだよね。食べる物も水も、電気も来てるし、車もあるし、受信感度は悪いけどテレビもあったよ。

テレビなんかはね、夏になるとドラえもんが見れなくなるんだよ。ドラえもんのチャンネルはUHFという周波数帯を使っていてね、どうも夏になると電波が悪くなり、見れなくなるんだ。救いだったのはドラゴンボールのチャンネルだけは、UHFだけどギリギリ見れたんだよね。

お陰様で、電波に興味が出て今では無線従事者資格をいくつも持っているよ。ちなみにアマチュア無線のコールサインはJK1QOJだよ。キミがこれを読むころ、パパが天国に居たら、このコールサインで会話できるかもしれないね。っていう映画があるんだよ。

 

長くなったけど、小さなころ楽しかったよ。

3年経って、今度キミが小学生になったら、また書くからね。

 

今日、君の晴れ姿を楽しそうに見ているママを見て、パパは幸せだなと感じたんだ。幸せって大切な人が幸せそうにしているのを見て感じる心なのかもしれないね。

どうりで新しいものを買っても買っても幸せと感じられないわけだ。

 

入園おめでとう。

 

パパより。

 

はてさて、次々にやってくる経営難。

事務を務める妻からの言葉「もう預金がないよ💢」


わかっておる。いつかはこうなることは、わかっておったわい。


ここでリストラするのが日本の経営者。

しかし、わたくしは決めていた事がある。


もし食えなくなったら、あたくしが肉体労働でもやって家族やスタッフを食わせて行かねば。


要は、あたくしが出稼ぎにゆく!と言い切ってから4年。本当に出稼ぎに出ることになった(笑)


色々試行錯誤した結果、来週からシフト制をやめて、定休日を設けるんだけど、売り上げはどん底まで落ちるだろう。


そのどん底に強いのがあたくし。

あたくし、どん底に強いという変態性を持っていまして、さあどうなるか株式会社ゴータバー!

今回の難に対して実はもうすでに手を打っている。というよりそういう流れを神様が囁いてくれたので、それに従っただけなんだけどね、法人起業して1ヶ月目にして「いちかばちか」の経営戦略というより神様がくれた戦略。


1年後、この店が在店しているのか、消えているのか。



しかし、コロナや、なんだかんだと難が続く有難いわたくしの人生。


今ちょっと楽しんでます。


ただ、毎月出てゆくマイナス数十万円、どこまで耐えうるか。こういう時もあろうかと売らなかったコンビのロレックスのGMTマスターⅡ。来週売ってしまうハイエース。どんどん身が軽くなってきます。


株も売ろうかと思ったら、ダダ下がりの株だらけで、証券口座を見た瞬間に目眩(笑)



GOTA

お客さんから、よく聞かれるんです。

この店は、なぜ始めようと思ったのですか?

 

よく聞かれることなので、ここで真実を書いておこう。

それまで本厚木の写真館で3年ほど学校系の撮影スタッフとして働いていたことがありまして、その仕事の中で、東京芸術大学の卒業アルバムを創るという作業が有りました。

 

今考えれば、あの芸術家集団に芸術とは言い切れない「卒業アルバム」を売りつけるといった仕事に、少々嫌気がさしていた頃、社長からファイヤーの宣告を受けた。

なぜファイヤーの宣告を受けたかというと、会社とは別で撮影を個人的に、しかも定期的に受けていたことがばれた事と、野毛で撮影していた帰りに半グレに絡まれてぶん殴り合いをしてしまい、ボロボロの顔になったわたくしは、3週の間、出社できなくなった事件も少々あっただろう。いや、ほぼほぼそれが原因だろうw

 

東京芸大の撮影は好きだった。

芸大生の作品を毎日見れるし、芸際の撮影もすごく楽しかった。

 

宣告を受けたわたくしは、芸大に行く為に本厚木から上野までの小田急線の上り電車に乗っていた。

景色は登戸駅を過ぎ、東京都との国境である多摩川をカタンコトンと渡った。

狛江高校が左手に見えたところで逆側の窓に移動して、街並みを見るのが好きだった。

 

そんなときに、ワタクシの目に飛び込んできた「サウナ狛江湯」というビル屋上看板。

サウナ狛江湯…なんともサビれた看板が哀愁を放ち、骨董市好きな私の身にサブイボが湧いた。

この看板が「家族湯、狛江湯」とか「天然温泉♨狛江湯」とかだったら、そんなに気にならなかっただろうけど、なんというこの簡潔でSimpleで誰にでも脳にダイレクトに足跡を残す「サウナ狛江湯」。

 

気になって気になって仕方が無くて、芸大の帰り道、小田急線「狛江駅」で降りた。

目の前に数件の不動産屋があり、その中から「アスカ商事」さんを選んで、冷やかしに入った。

「写真スタジオが出来るような物件は有りますか?」の質問に2秒で答えてくれたのがスタッフのKさん。

それでは物件を見に行ってみようという事になり、それが今のゴータバーであり、今月30日に3回目の更新をすることとなった。(関東では賃貸物件に更新というものがあり、普通の賃貸物件は2年に一回家賃の倍額、テナントは3年に一回家賃の倍額を払うという変な仕組みがある)

 

という訳で、導かれたように、ここにたどり着いて9年目に突入した2023年。

まさかの、狛江湯がリニューアルオープンとなったわけで、何が嬉しいかって、お店の出勤前にひとっ風呂浴びてから出勤が可能になったわけだ。

 

まさに「捨てる神あれば拾う神あり」英語でいえばセレンディピティかな。

僕の人生、奇跡で出来上がっています。

 

あー、早く狛江湯に入りたいなぁ。

長い事BARを経営していると、お客様から面白いお話を聞けたり、お仕事のお話を聞けたりと、まるで今日のBARが東京の縮図の様に感じる事がある。

その中でも、最近気になった話がある。

まぁタイトルにもあるが、ワタクシ44歳になりまして、同年代の話題のひとつとして持ち家(住宅ローン)の話題がある。

 

そんなお客様とお話していて、決まって出る言葉が団信(団体信用生命保険)だ。

住宅ローンを返し終わるのは75歳。妻子に残してやれる最後のプレゼントが「家」なのだそうだけど、当人たちは70歳まで生きていたくはない!と言い切る。

 

「死んでしまえばローンはチャラ」の言葉が横行し、そこで僕が「ローン返す気なんかさらさらないでしょう?」と尋ねると、酒を片手に大笑いしながら頭を縦に何度も振るのだ。

 

そうか、どうせ短命、ローンはチャラになるのであれば「今すぐ住宅ローンを(家族の為に)組まなければ!」そんな考えがドーパミンに包まれて脳内を駆け巡った。

 

昨晩、そんな経験をした。

落ち着いて考えてみると、これはまさしく21世紀の特攻隊ではないか。

住宅ローンという爆弾を抱えながら、この狂った社会に玉砕。お国の為ではなく家族の為。

 

嗚呼、日本の全ての男よ、一度集まって会議をしようではないか。

窮地に立たされる

そんな言葉が有りますが、窮地ではないけど分岐点がワタクシの前に現れた。

分岐点と認識するのは僕の意識であって、導きとはそれに流されることではないか。

 

分岐点の右に行けば現状だ。左に行けば、なにかしら既存のチカラに一度ぶら下がるというのが、頭の中にあるイメージなんだけど正直言って未だ迷う。

 

迷い

 

写真の修業時代、先輩から言われた言葉が「君の写真には迷いがある」だった。

しかし、迷うという事は、思考を費やすという事ともいえる。言い方を変えれば、「君は、考えながら撮っている」だと思った。

それは悪い事なんかじゃない。

 

ただ、その時の被写体というのが結婚式というセレモニーの、一連の動作を写真に記録するという仕事だった。

この様な仕事には「型」があり、型を覚える事によって、それほど頭を使わないで仕事ができるという事から「型が定まらないために、君の記録写真は迷っている」と解釈することが出来る。

 

それは、クリエイティブなのか?

いや、ニッポンのクリエイティブは点ではなく線の先に有ると久石譲先生は著書に書いていた気がするけど、空手や剣道、茶道の様に、稽古の先に有る完璧な「型」を私たちニッポン民族はクリエイティブと総称するのかもしれない。

 

さて、ワタクシの分岐点の話に戻るが、この型というクリエイティブではなくて、奇跡に近いタレント性というか、セレンディップというべきか…

 

昨晩、一人のアーティストがお店にやってきて談笑し合った中で、なにか仕事につながる楽しい事やろうというお話になった。

それは夢のような話だけど、なにか「型」を会得した先に手にするものでは無く、挑戦する道すがら、周りを巻き込んで興すムーブメントのようなお話で、ぜひやろうではないか。とお返事をさせて頂いた。

 

話しの中で、僕の特性上「人を活かす事に仕えると、自分が自ずと活きてくる」という言葉を頂いた。

そてはワタクシの40代ジンセイにおいて、重要なヒントとなる言葉だったので、メモを取らせてもらった。

 

ちなみに人間において一番クリエィティブな時期とはこんな感じではなかろうか↓