お客様に教えて頂く | ブーティの裏

ブーティの裏

フォトグラファーをする傍ら、Funnyな神さまの導きにより2014年から「狛江で1番入りづらいバー、ゴータバー」という飲食店を経営させて頂いております。2023年法人化し㈱ゴータバー設立。学歴が小学生程度しか無いため誤字脱字多めのニンゲンのエッセイ。

窮地に立たされる

そんな言葉が有りますが、窮地ではないけど分岐点がワタクシの前に現れた。

分岐点と認識するのは僕の意識であって、導きとはそれに流されることではないか。

 

分岐点の右に行けば現状だ。左に行けば、なにかしら既存のチカラに一度ぶら下がるというのが、頭の中にあるイメージなんだけど正直言って未だ迷う。

 

迷い

 

写真の修業時代、先輩から言われた言葉が「君の写真には迷いがある」だった。

しかし、迷うという事は、思考を費やすという事ともいえる。言い方を変えれば、「君は、考えながら撮っている」だと思った。

それは悪い事なんかじゃない。

 

ただ、その時の被写体というのが結婚式というセレモニーの、一連の動作を写真に記録するという仕事だった。

この様な仕事には「型」があり、型を覚える事によって、それほど頭を使わないで仕事ができるという事から「型が定まらないために、君の記録写真は迷っている」と解釈することが出来る。

 

それは、クリエイティブなのか?

いや、ニッポンのクリエイティブは点ではなく線の先に有ると久石譲先生は著書に書いていた気がするけど、空手や剣道、茶道の様に、稽古の先に有る完璧な「型」を私たちニッポン民族はクリエイティブと総称するのかもしれない。

 

さて、ワタクシの分岐点の話に戻るが、この型というクリエイティブではなくて、奇跡に近いタレント性というか、セレンディップというべきか…

 

昨晩、一人のアーティストがお店にやってきて談笑し合った中で、なにか仕事につながる楽しい事やろうというお話になった。

それは夢のような話だけど、なにか「型」を会得した先に手にするものでは無く、挑戦する道すがら、周りを巻き込んで興すムーブメントのようなお話で、ぜひやろうではないか。とお返事をさせて頂いた。

 

話しの中で、僕の特性上「人を活かす事に仕えると、自分が自ずと活きてくる」という言葉を頂いた。

そてはワタクシの40代ジンセイにおいて、重要なヒントとなる言葉だったので、メモを取らせてもらった。

 

ちなみに人間において一番クリエィティブな時期とはこんな感じではなかろうか↓