自分なりの死生観を持つ | ブーティの裏

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フォトグラファーをする傍ら、Funnyな神さまの導きにより2014年から「狛江で1番入りづらいバー、ゴータバー」という飲食店を経営させて頂いております。2023年法人化し㈱ゴータバー設立。学歴が小学生程度しか無いため誤字脱字多めのニンゲンのエッセイ。

自分なりの死生観を持つという事は、悔いのない人生を送るためには欠かせません。

にもかかわらず、最近の若人が死生観を持てないというのは、一つの理由として、平均寿命が延びた事がかんがえられます。

 

昔は平均寿命が短かったため、人生の比較的早い時点で親の死と出会い、それを見つめることが出来ました。ところが今は、医学の進歩によっていろいろな病気が克服されたため、親の死に遭遇する時期が遅くなっています。この様に親の死に触れる時期が遅くなった事が、死を身近に感じられない理由の一つだと思います。

 

そしてもう一つの理由は戦争が無い事です。戦後の平和な中でずっと生きてこられたことが影響しているように思います。

 

もし中東のような環境下で生まれていたら、若者の死生観は全然違ったものになっているはずです。また、第二次世界大戦勃発前に青春時代を送っていたとしたら、これもまた死生観は全く違っていたでしょう。

 

あの時代の青年たちにとって、死はすぐ傍にあるものでした。だからこそ、物事を深い所でとらえる事が出来たのでしょうし、それがゆえに精神的にも非常に成熟していたのでしょう。反対に今の若い人にいくら死生観や仕事観の話をしても切実な思いが無いから、なかなか心の奥深くにまで響かないのだと思います。

 

戦争の時代には、兄弟でも友達でも年若くして死ぬという現実がありました。今はそういう状況にないために、死生観についての意識が薄いのです。

 

平均寿命は延びる一方で、しかも自分はまだ若くて元気もある。日本は平和で戦争も起こらない。だから定職を持たず、フリーターのような形で刹那刹那に人生を送ることで満足してしまっている。そういう若者が増えているように思います。

 

この傾向は特に日本において際立っているように思います。アメリカには、自らが攻められることは無いけれど、Selective service system (選抜徴兵登録制度)という徴兵に関する制度が有ります。そして、場合によってはイラクに派兵されて、命を落とす可能性もある。過去にたくさんの若者がイラクで死んでいます。だからやはり、日本の若者とは死生観が違っているはずです。

 

日本は特別恵まれているのです。恵まれた結果、今のような現象が起こっているように思います。しかし陰が有れば陽もある、陽があれば陰が有るというのがこの世の理です。いつも陽に当たってばかりいられないということを、日本の若者たちには知ってもらいたいのです。と同時に平和の有難さをかみしめて、それに甘えることなく自らの使命を求め、世のため人の為に尽くしてもらいたいと思うのです。

 

多くの志士を育てて明治維新への道筋をつけた吉田松陰は、二度の投獄を体験しています。しかも、わずか29歳で生涯を終えています。

 

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置きかまし大和魂」

 

という辞世の句を残して死んでいったのです。しかし、彼の寿命は短かったかもしれないけれど、いまだに彼の名は忘れられていません。その名は歴史に刻まれ永遠のものになり、二十一世紀を生き抜いているのです。

 

そういう若者たちがなかなか現れないというのは、恵まれ過ぎたゆえの不幸と言えるのかもしれません。しかし、自らの天命を見つけようという意思があれば、この日本においても命を輝かせて生きる事が出来ると私は思うのです。

 

「何のために働くのか」 北尾吉孝 著 より抜粋

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最後に書かれた自ら天命を見つけようとする「意志」

私にとって一番いま刺さる一文だ。

 

ふらふらあっちいってみたり、こっち行ってみたりが得意な私はこのページを丸めて飲みこんでも良いくらいだ。

私は、この商人という天命を授かっているんだと薄々気が付いてきたこの頃、生涯商人として生きる覚悟を決めた。

 

死生観に関しては、20代のころ、借金だらけになった時、自らの命を絶とうとしたことがあった。瞬間に母からの一本の電話。

思いとどまった私は、逃げるのをやめた事で、天が私に第二の人生を用意してくれた。

 

だから今借金だらけでも、精神的に苦しくても、5年先10年先には、死生観と天命を理解できれば思いもよらない展開で人生が拓いていく。

 

GOTA